●作品と生涯
ナチュラリストでもあり自然保護論者でもあったソーントン・ウォルドー・バージェス(Thornton Waldo Burgess)は、自然や、そこに生きる生きものたちの美しさを愛し、それをテーマに50年間にわたり物語を書き続けました。
バージェスは引退するまでのあいだ、新聞に毎日コラムを書きつづけ、170冊以上の本と15,000もの物語を書き残しています。彼は自然観察から物語の構想を得ていました。
1910年に発表されたバージェスの最初の本、「Old Mother West Wind」では、うさぎのピーター、スカンクのジミー、かけすのサミーなど、後に続く物語に登場する多くのキャラクターがすでに登場しています。
また、バージェスの本は、スウェーデン語や、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ゲール語など、世界中の多くの言語で出版されました。挿絵を書いたのは、イラストレーターであり友人でもあったハリソン・キャディー(Harrison
Cady)です。
また、バージェスは多くの自然保護運動に積極的に関わっていました。
- 土地保護プログラムのための「緑の牧草地クラブ(The
Green Meadow Club)」
- 渡りの習性のある野生生物を守る法律を通過させる運動
- 野生生物保護プログラムのための「ベッドタイム・ストーリーズ・クラブ(The Bedtime Stories Club)」
- 戦時郵便貯金切手および債権のための「リスのハッピー・ジャックを守る会(Happy Jack Squirrel Saving
Club)」
- マサチューセッツ、スプリングフィールドのWBZA局から「ラジオ・ネイチャー・リーグ(The Radio Nature
League)」を放送
などです。
これらの努力に対して1938年、文学の名誉学位がノースイースタン大学からバージェスに与えられました。また、ボストン科学博物館から「子供たちを素晴らしい自然の世界に導いた」として特別な賞を、また野生生物永続保護基金(the
Permanent Wildlife Protection Fund)からも有名な褒賞を与えられました。
1960年、バージェスは彼の最後の本「Now I Remember(いま私は思い出す)」を出版、それはサンドウィッチで過ごした彼の幼いころの記憶を語る自叙伝です。その年、バージェスは83歳になっており、15,000作目の物語をこの世に出していました。1912年から1960年までの間、バージェスは途切れることなく「ベッドタイム・ストーリーズ」というタイトルのコラムを毎日新聞に書き続けました。
●生い立ち
ソーントン・ウォルドー・バージェスは、キャロライン・F・ハイウッド(Caroline F. Haywood)とソーントン・W・バージェス・シニア(Thornton
W. Burgess Sr.)の息子です。彼の父親は、1637年マサチューセッツのサンドウィッチに最初に移住した人たちのうちの1人である、トーマス・バージェス(Thomas
Burgess)の直系の子孫でした。
バージェスは1874年1月14日、サンドウィッチで生まれ、1965年6月5日、91歳で亡くなっています。
バージェスの父親は、彼が生まれた年に亡くなっており、彼はサンドウィッチで母に育てられました。家庭は決して裕福とはいえず、若いころの彼はお金を稼ぐために年中働いていました。牛の世話をしたり、イチゴノキやベリーをつんだり、池からスイレンを出荷したり、キャンデーを売ったり、またマスクラット(じゃこうねずみ)を捕獲するということもしました。
彼の雇い主の1人、ウィリアム・C・チップマン(William C. Chipman)は野生生物の生息地でもあるディスカバリー・ヒル・ロードに住んでいて、その場所はにっこり池(Smiling
Pool)※やいばら屋敷(Old Briar Patch)※として物語に頻繁に登場します。
1891年にサンドウィッチ高校を卒業すると、バージェス は1892年から93年までボストンでビジネスカレッジに通います。17歳とき、バージェスは短期間だけボストンに住んだわけですが、次にマサチューセッツのスプリングフィールドに移住しています。1925年、マサチューセッツのハムデンに土地を買い、1957年、そこを生涯住む家としました。
しかし、バージェスはよくサンドウィッチに戻っては、そこが彼の生まれ故郷であり、心のふるさとであると言っていました。幼年時代の経験や知人の多くが、彼の好奇心や野生生物とのかかわりに影響を与えています。
●協会について
彼の死後、マサチューセッツ・オーデュボン協会は彼のハムデンの家を購入し、その場所に「ざわざわ川ネイチャー・センター(the
Laughing Brook Nature Center)※」を設立しました。
ソーントン・W・バージェス協会は「野生の生きものたちに対する敬意や自然環境への関心をよびさます」ために、1976年に設立されました。それはバージェスが楽しい物語を通じて若者たちに与えていた影響を受け継ぐものです。また、アラベラ・バージェス(Arabella
Burgess)の家はウォーター通りのバージェス博物館になっています。
さらに1979年、ディスカバリー・ヒル・ロードのグリーン・ブライアー・ジャム・キッチン(the Green Briar Jam
Kitchen)も購入され、同様にネイチャー・センターになりました。現在ネイチャー・センターでは、ソーントン・ウォルドー・バージェスの哲学を実践する教室などが開かれています。
※って、この訳でいいのかぁ(笑)? 違うかもしれません、未確認(汗)
●バージェスに関する文献リスト
原作の巻末にも作者の生涯が紹介されていますが、他に下記のような文献があります。
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